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遠藤結万(えんどうゆうま)のブログ。

銃で打たれるその日まで ー 「HINOMARU」と「This is America」の話

Because the Internet

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This is America の衝撃

チャイルディッシュ・ガンビーノ(ドナルド・グローバー)の「This is America」が、世界中で反響を受けている。

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曲はアコースティック・ギターの爽やかな音色と陽気なコーラスから始まる。身体をくねらせながら登場したチャイルディッシュ・ガンビーノは、銃を懐から取り出し、先ほどまでギターを奏でていた男性(顔には袋が被せられている)を撃ち抜く。 曲調はダークなヒップホップに一転し、彼は「これがアメリカだ。油断するな」とラップする。続いて登場したゴスペル隊も、手渡されたマシンガンで撃ち殺す。 舞台は広い倉庫。チャイルディッシュ・ガンビーノを中心に制服を着た黒人のダンサーたちが笑顔で踊る一方、画面の後方では暴動のような光景が繰り広げられる。何者かに追われ必死の形相で逃げるチャイルディッシュ・ガンビーノの姿でビデオは終わる。

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ところで、先日、RADWIMPSの野田洋次郎氏が「HINOMARU」という曲を発表した。(僕は水嶋ヒロの「KAGEROU」を思い出したけど、Twitterを見る限りみんな忘れていた)

gendai.ismedia.jp 個人的にはRADWIMPSは好きで、「君の髪や瞳だけで胸が痛い」とか言っていたバンドがいきなり「僕らの燃ゆる御霊」なんて言い出したのはびっくりした。

それはともかくとして、この二つを比較して感じたのは、日米の文化的引用(という言葉があるかは知らない)の差だ。 「This is America」には多くの文化的引用がなされている。ダンスはアフリカのグワラダンスなど、黒人文化の様々な場所から引用されている。 i-d.vice.com

黒人への乱射事件や銃をうやうやしく扱うアメリカ銃社会、携帯を持っていただけで射殺された黒人男性の事件が歌詞でも(間接的に)言及されている。 MVで登場する車は古き良きアメリカの車だし、ゴスペル隊を虐殺する銃は、ベトナム戦争などでソビエト軍が使ったAK-47だ。ガンビーノが身につけているのは金のネックレスである。 そもそも、ラップミュージックやヒップホップ自体が「ブラック・ミュージック」であり、というよりジャズやブルーズの時代より、アメリカの音楽シーンは常に黒人文化が先導してきたわけだ。 そのような文化的ルーツに対する十分なリサーチと敬意、そして社会的なメッセージがこの曲には込められている。

それに対して、「HINOMARU」は不思議な歌だ。歌詞を見れば、明らかにそのルーツは愛国歌や軍歌など、戦前戦中・昭和初期の文化からインスパイアされている。 そもそも「高鳴る血潮」とか「燃ゆる御霊」とかいう言葉はそのような文化圏で用いられていた言葉であり、普通一般の日本の生活で出てくる言葉ではない。

しかし、野田氏本人は

HINOMARUの歌詞に関して軍歌だという人がいました。そのような意図は書いていた時も書き終わった今も1ミリもありません。ありません。というふうに述べている。

一般的に、文化を引用する場合、そのルーツとは不可分だ。ブラック・ミュージックを引用するなら、その裏にある黒人の苦難の歴史、奴隷としての長い歴史を知ることが必要になる。 例えば、「星条旗よ永遠なれ」を曲の中にサンプリングすれば、それは肯定的であれ否定的であれ、アメリカという国の歴史を引用することになるわけで、当然「単にメロディがキレイだったから」という理由で引用されることはないだろう。

とすると、戦前戦中の文化を引用した、しかも大日本帝国の文化圏から強い影響を受けた愛国歌をインスパイアしたのであれば、必然的にそれは大日本帝国という国家の位置づけと、分かちがたく絡み合ってくる。

先にも述べたとおり、欧米の文化圏の中では、文化的なルーツがどこにあるか、ということは極めて重要なことだ。一方日本では、むしろそのようなルーツに対しては無垢であることが求められているのではないか。 文化的イノセンス、というのがこの曲から感じる印象だ。

つまり、可能な限り何も知らない、何がルーツになっているかも知らないことが求められ、「難しいことはよくわからないけど、自分の国を好きって言いたいよね」というような態度こそが、日本のミュージシャンには求められているのかもしれない。

例えば、それはミュージシャンが政治的発言をした時の強い反発からも推察される。 www.huffingtonpost.jp

野田氏は、

僕はだからこそ純粋に何の思想的な意味も、右も左もなく、この国のことを歌いたいと思いました とも述べている。

しかし、「気高きこの御国」というような語彙には明確な文化的ルーツがある。そこには良い意味であれ、悪い意味であれ、ある時代の日本や、その日本を構成していた国家体制が源流にあり、それを選択するということには、明らかに思想的な意味が存在する、と(欧米なら)見られるはずだ。

アメリカに「無思想のゴスペル歌手」は存在しないだろう。ゴスペルを歌うなら、そこにはキリスト教と信仰とアメリカの奴隷制度と、黒人の歴史が複雑に絡み合う。しかし、日本ではゴスペルを単にメロディがキレイな音楽として歌っても問題ない。むしろ、推奨されるべき行為として見られるだろう。 「白人とか黒人とか関係なく、私は単に美しい音楽が好きなのです」と言ったら拍手喝采かもしれない。

ブラック・アンド・ホワイト

www.netflix.com

Netflix に「Dear White People(親愛なる白人様)」という連続ドラマがある。ウィンチェスター大学という架空の大学舞台に、黒人生徒の生活を描いたものだ。

主人公のサマンサが放送しているラジオ番組は、いつも「Dear white people(親愛なる白人の皆さん)」という語りで始まる。彼女はアメリカに残る人種差別を痛烈に批判するが、黒人と白人のハーフで、白人と付き合っている。 サマンサの彼氏であるゲイブは白人でありながら黒人の多い大学(HBCU/Historically Black Colleges and Universities/歴史的黒人大学)に入学していて、なんとか黒人たちのコミュニティーに馴染もうとしている。

作中の黒人学生たちは、しばしば頻繁に「白人はこれだから」というふうな言い方をするが、ゲイブは言い返さない。黒人が黒人の血を誇ることはできても、白人の白人の血を誇ることはできないし、「黒人と結婚したい」と女性が言うのはOKでも、「白人と結婚したい」とは誰も言わないし、言えない。 こうした扱いを一見すると、白人はむしろ不公平な扱いを受けているんじゃないか?いわゆる逆差別なのではないか?というような意見が出てもおかしくない(この辺、戸惑うゲイブの反応が凄くリアル)

ところが、作中(少しネタバレになってしまうけれども)あるパーティーが開かれ、そこで白人学生と黒人学生の小競り合いが起こる。そこに警備員がやってきて、なんと、警備員は容赦なく黒人の学生の方に銃を突きつけ、学生証を見せるように迫る。 彼は最終的には学生証を見せて事なきを得るのだが、心に非常に大きなショックを受けることになる。

つまりはそれが現実なのだ。アファーマティブ・アクションがあり、様々な形で白人学生は我慢をし、黒人学生は自由を謳歌にしてるように見えたとしても、一皮むけば警官が黒人を容赦なく殺害するアメリカの姿がそこにある。 ヘイトフル・エイトでサミュエル・L・ジャクソンが言っていたように、「黒人が安全なのは白人が丸腰のときだけ」なのだ。ちなみに、このエピソードの脚本を書いたのはムーンライトでアカデミーをとったバリー・ジェンキンスだ。

つまり、黒人のアイデンティティは、日々銃を突きつけられ、射殺される危険と隣り合わせという状況の中で生まれているもので、それは彼らにとって、生きるか死ぬかの問題だ。敬意を払われなければすぐにしんでしまうからだ。 彼らは、もともと奴隷としてアメリカにやってきて、今もそのような危険にさらされている。文化が尊重されない だからこそ、文化的盗用やブラックフェイスなどの問題に対しても、非常に敏感に反発する。

wezz-y.com

少し長くなったけれども、私はやはり、何かしら文化的ルーツのあるものを引用する時、その文化的ルーツに対する評価を曖昧にしたままに引用するのは、クリエイターとしてあまり正しいことではないのではないか、と感じている。 「HINOMARU」が愛国歌を引用して、燃える御霊、というような言葉を使ってもそれ自体は別に良いと思うのだけど、「それは軍歌とは何も関係ないし、戦前戦中の文化とも何も関係ない」というような主張は通らないのではないだろうか。